目は大きければ大きいほどかわいいという価値観の思春期を過ごしたせいか、なかなかビューラーを手放せないでいました。
自然なままのまつ毛でいることを「すだれまつ毛」と言うそうです。
「すだれ」ってやっぱり、窓の日よけとなる竹っぽい和風カーテンのようなアレですかね。
ナチュラルで儚げな印象だとかなんとか…
人によりそうですが、確かに和風なつくりの顔には似合ってそうですね。
地味になりすぎないかな。
バランス次第かな。
ちなみに、ビューラーとは、まつげを挟んで、まつげを上向きにさせるメイク道具です。
最近、まつ毛が思うように上を向かない気がします。
まつ毛の老化か、ゴムが寿命か。
今日も仕事に行く前に、メイクの手順のひとつ、儀式のひとつとして、当たり前にいにしえのビューラーでまつげを挟みます。
中学生のとき、資生堂のビューラーを母から譲り受けました。
驚くことに、今でもそのビューラーを使っています。
10年ほど前、「ミニマリストにビューラーはいらない」と、一度は捨てる決心をした時がありました。
燃えないゴミの袋に入れられて、捨てられるのを待っている時がありました。
思い直して、ゴミの日が来る前に、そのビューラーは救出されたのでした。
仕事や、結婚式やこどもの卒業式入学式ぐらいは、ちゃんとしたメイクが必要かもしれないと思ったからです。
普段一人で近所のお買い物をするときは、日焼け止めと眉毛、それにコンシーラーと赤リップぐらいです。
普段は、ビューラーもマスカラも使わない日がほとんどです。
つまり、1年のうち、ビューラーがいらない日がほとんどなのです。
そんなとき、最近は「一応、外見には気を使ってますよ~」というアピールとして、大き目ピアスの存在感に頼っています。
あと、少し濃いめの赤リップでバランスをとるようにしてと。
そもそも近視の人がアイメイクをするのは、難しいのです。
コンタクトを入れていないときは、鏡にぶつかりながらアイメイクをします。
そのため、コンタクトを入れているときだけ、マスカラをつけることにしています。
あと、マスカラで、メガネのレンズが汚れるのは嫌なのです。
そんな訳で、あのときなんとか首の皮一枚で命をつなぎとめた波乱万丈なビューラーをとうとう手放すことにしました。
もう寿命はとっくに過ぎていたけれど、気合いを入れてメイクをちゃんとしているという儀式のために、存在していただけだったみたいです。
今度こそ、本当にお別れを言うことができました。
もしまた必要な時は、コンパクトな無印のビューラーを買うことにします。
という、保険を一応かけておきます。
1outして、必要な時に1inすることにします。
ピアスとリップティントの存在感に頼りつつ、すだれまつ毛の秋を過ごします。
むむ、私のまつ毛が日よけになるほどの量がないため、ここにきて「すだれ」と表現していいのか心配になりました。
では~