冬の体育の授業で、学校の外周を走ることがありました。
マラソンは、決して得意ではなかったのですが、さぼる勇気もありませんでした。
とりあえず決められた最低限はこなそうという心持ちでいました。
たぶん、その時「無になる」という感覚を掴んだような気がします。
私はいつもあの角を警戒しています。
ちょうど、あの角を曲がったところに、キンモクセイを植えているお宅がありました。
お庭からはみ出すように咲き乱れています。
風が強い日には私の頭目掛けて降りかかってきそうな勢いです。
角に差し掛かる前に、私は息を止めます。
酸欠状態のマラソン中の肺に広がるキンモクセイの甘ったるさは、毒のようでした。
息を止めて走るという、正気の沙汰ではない行いのおかげで、自分自身に更なる負荷を掛けながら通り過ぎます。
ここならもう追手は来ないだろうと、新鮮な空気を吸い込んだ矢先、次のお宅にあの忌々しいオレンジ色が待っています。
帰り道、友達がキンモクセイの匂いを「いい香り」と言っていて、耳を疑いました。
その隣にいる私は、マラソン中でなくとも、帰り道の今でも自分の肺に毒が回らないように、オレンジ色を見かけたら、息を止めて歩く習慣が染みついているというのに。
そもそも、庭にキンモクセイを植えるぐらいなんだから、キンモクセイの香りが好きな人が一定数存在するのはしかたがありません。
近頃、キンモクセイがオシャレな花としてもてはやされている様子を静かに横目で見ていました。
キンモクセイの香りのする香水や、ハンドクリームがあるらしいと知ってから、驚きました。
マラソンの息苦しさを思い出すキンモクセイが苦手なのは、もはや私だけなのでしょうか。
仕事帰りの寄り道、雑貨屋さんにキンモクセイの香りのハンドクリームや香水が並んでいます。可憐なパッケージの見た目が可愛すぎるので、思わず手に取ってしまいました。
自ら毒に手を伸ばすなんてと葛藤する暇もなく、好奇心が勝ってしまいました。
恐る恐る、試供品を左腕の動脈にプッシュしたところ、ふわりと香りが広がります。
あれ、これは私の知ってるキンモクセイではないぞ。
多量の水に、私の記憶のキンモクセイの成分を一滴垂らしたような、かなり薄めた液体のようです。
ほう、これがみんなのいい香りというキンモクセイの香りってやつなのか。
確かに毒という訳ではなさそうだ…
パッケージの可愛らしさと相まって、秋の訪れを知らせる妖精になった気持ちでいることが出来れば、なかなかご機嫌に過ごせそうです。
みんなの知ってるキンモクセイは、オレンジの毒の塊ではなく、可憐で健気に揺れる小さな花のようです。
私もマラソンという極限状態でなければ、雫ぐらいなら受け入れられそうです。
試供品をつけたからには、どのぐらいでこの香りがもつのか、様子を見てから購入するかを考えることにしました。
帰りの電車の中で妖精気分の私の隣に、扉が閉まるギリギリで駆け込んでき人が座りました。息を止めていないといいのだけれど。
お題「思い出の場所」 は、キンモクセイが香るあの角でした。