12月29日に『ムーミンパパの思い出』というお話のパペット映画が公開されるようですね。
最近『ムーミン谷の彗星』を読んだばかりでした。
続けて映画化されるものの原作も読んで見ようと思いました。
でも、読んでいる途中で、どうやら違う原作を読んでいることに気が付きました。
間違えて、映画化される訳ではない『ムーミンパパ海へ行く』トーベ・ヤンソン(1968年10月30日初版)を読みました。
このお話は、初めて読みました。
こどもの頃に読んでいたとしても、面白さがわかったのかどうか、よくわかりません。
でも、こどもの頃にこの本に出会っていれば、ムーミンと一緒に新鮮な気持ちに出会えていたのかもしれません。
今は、ムーミンママの気持ちに感情移入しがちです。
水晶玉ごしに映る家族の様子を眺めてみたり、「父親の威厳」について悩んでみたかと思うと、急に住み慣れたムーミン谷を出て、荒れた島に家族で移り住もうとするムーミンパパ。
ムーミンパパの頭の中は、あまりシンプルではなさそうです。
ムーミンパパを見ていると、「人間らしい」というか「人間くさい」というか、ムーミンパパの「におい」を感じます。
その不器用な真面目さは、普段はわざわざスポットライトを浴びることがないような気がします。
人間らしさ、汗臭さ、地べたを這いずり回るような努力や泥臭さといった「におい」のするものは、昭和の古き良き価値観になってしまったのでしょうか。
今年の春夏ドラマで、なかなかスポットの当たらない不器用さを描いたドラマ『初恋ざらり』の感想を毎週ブログに書いていました。
私は、不器用だけど、一生懸命で葛藤している様子の人に惹かれるというか、応援したくなるようです。
もしくは、私自身が不器用で、共感しているだけなのかもしれません。
高校生の時、教育実習に来た若い先生が緊張のせいか、脇汗がシャツに大きな汗じみを作っていました。
「高校生に緊張することないのにな」
なんてことを表面上では思っていた気がします。
その奥で、先生の一生懸命さは十分に伝わっていました。
あの先生は、今もどこかの教室で汗をかきながら授業をしているのかな。
それとも、ベテラン先生になっていて、もうあまり汗をかくこともないのかしら。
私は、シンプルでミニマルな暮らしを夢見る一方で、そんな綺麗ごとだけじゃない、未完成な泥臭い人間らしい部分に愛着をもってしまうゆるミニマリスト風主婦でしたっけ。
(「…でしたっけ。」ムーミンの原作の日本語に翻訳されたときの不思議な文のくくり方。使ってみたかったのだけれど、あってるのかな)