「愛着と成長: 一つのユニフォーム」
「友情と選択: マネージャーの誘い」
「成長と服の繋がり: サポーターとしての日常」
というAIタイトルアシストによる案があったのですが、確かにAIのほうが読みたくなるようなタイトルなんですが、最終的に自分で考えたタイトルにしました。
こどもが成長し、とうとう私と同じサイズの服を着られるようになってしまいました。
母や夫のおさがりを私一人でせっせと着ていたので、新しい選手の登場に助かっています。愛着のある服ほど、着潰して手放したいものです。
「一緒にサッカー部のマネージャーをやらない?」
と、友達に誘われたことがありました。
私が高校に入学して間もない頃のお誘いです。
マネージャーは、人のお世話が好きな人だと思っていました。
当時は、自分自身がプレーヤーになるほうが何倍も有意義で面白いものだと、信じて疑いませんでした。
友達には、お茶を濁しつつ、ちゃんとやんわり断ることができました。
そして、自分の興味のある部活に入ることが出来ました。
その当時、私自身はまさしくプレイヤーだと思っていて、部活以外のことに対しても、現状にもがいて走って、空回りして、落ち込んで、感情が忙しかったです。
自分の意志だけじゃどうにもならないことがたくさんあることを知らずに、頑張ればなんとかなるとおめでたい考えで、ものごとを進めようとしていたんだと思います。
でも、部活を引退したら、一緒に青春を過ごしたユニフォームやジャージなど、なんの未練もなく手放してしまいました。
一方で、なかなか捨てられないユニフォームがあります。
当時よく遊んでいたグループのメンバーと一緒に、ワールドカップの日本代表ユニフォームのレプリカを作ってしまいました。
ノリで作るにしては高額だったと思うのですが、万が一同窓会などでそのグループで集まったときに、自分だけ手元にないというのは、居心地が悪すぎると思い、タンスの奥で眠らせています。
久しぶりに会った友達に
「あのユニフォーム、どうしてる?」
と聞いたところ、友達は、
「あれ、もう捨てちゃったよ」
と、笑って言いました。
他の友達がまだユニフォームを持っていたとしても、共犯者がいるので、安心して私もユニフォームを手放すことが出来そうだと思いました。
さっそく家に帰って、
「いよいよ潮時ですね」
と、心の中でユニフォームに語り掛けながら、タンスの奥からユニフォームを引っ張り出しました。
「カッコいい!」
と、背後から声がしたので、振り向くと、こどもはユニフォームに目が釘付けでした。
結局ユニフォームは、こどもにあげることにしました。
学校に着て行って、思う存分汚してくれたらそれでいい。
私は、日々成長するこどものサポーターとして、君の汚れたユニフォームをしっかり洗いますよ。
今なら、マネージャーの面白さがもっとわかりそうです。
気づくのが遅かったね。
サポーターがサポーターのユニフォームを洗う日々です。
では~