知らないほうがよかった。
知らないほうが幸せなことってきっとありますよね。
でも、知ってしまったら、もう知らなかったあの頃には戻れないし、知らないフリ平気なフリをするしか術がないのかなぁ。
現状をなんとかしようという情熱も勇気も体力もなく、ぬるりとぼんやりとやり過ごすだけ。
そんな日々を送ります。
幼稚園の帰り道、そのままの流れでこども同士が公園で遊ぶことになりました。
「よかったら、この後、家に来る?」
と、誘ってくれたママさんがいました。
特にお菓子も何も持ち合わせていなかったけど、他に予定もなかったので、こどもとお邪魔させてもらうことにしました。
こどもは、突然のお家遊びイベントに喜んでいましたし、私は私で、突然家に人を呼べるおうちの管理力がすごいなと静かに驚いていました。
すると、ママさんは半年以上前に、他のママさんたちの間で起こったトラブルについて、息を吐くようにサラサラと話してくれました。
私の知らないところで起きたトラブルが、知らない間に解決されていたので、後日談のような形です。
でも、もう知ってしまったその秘密を抱えながら、これから知らないフリをしながら過ごすことになってしまったのでした。
話は変わります。
高校生のときの私が、将来ヒップホップ音楽をズムズム流しながら家事をする今の姿を想像できたでしょうか。
カラオケでaikoを歌っていたところから、全く想像できないところにやってきてしまったと茫然としてしまいそうです。
音楽は歌ったり、口ずさむだけじゃなくて、色々な背景を想像しながら、聞くことも楽しいのですね。
高校生の私が今の私を見ても、きっと理解できないことが多いでしょう。
がっかりするのかもしれないし、ま、そんなところでしょ。
と、思うのか。
ほっとするのか、希望に満ち溢れるのか。
ものごとには、色んな巡り合わせや、順序があります。
そのグラデーションになっている流れの一瞬だけを切り取って判断材料にするのはきっと危険です。
その一瞬が結果だと決めつけないで、そこに至る過程が存在したことを忘れないで。
今、結果だと思っていることが、実は先の過程かもしれないし。
いずれ知ることになる世界があるのなら、今はまだ知らないほうがいいこともあるのかもしれません。
そんなことを、時々自分に言い聞かせています。
私は、先のことを考えると不安や心配になりやすいようです。
根本的な自分の特性を変えることはなかなかできません。
自然に任せて、流れるように漂うようにしなやかに生きていけたらいいなと思います。
その流れは、溺れない程度にゆるやかな流れがいいのだけれど。
たんたんといつも同じリズムで時間が流れてゆきます。
するりと12月がやってきましたね。
来年のこと、未来のことに気持ちがいってしまいがちですが、私はいまここにいます。