最近「スローライフ」という言葉をあまり耳にしなくなった気がします。
気に入っていた言葉のはずなのに私もすっかり忘れていました。
「ミニマリスト」が流行語大賞にノミネートされたのが、2015年のことでした。
「スローライフ」という言葉を知ったのはさらにずっと前だったような気がします。
今や「スローライフ」という言葉は、地方への移住で使われることが多くなってしまった気がします。この言葉を初めて知ったときは、「ファスト」の対義語として「ゆったりとした生活」そのものだったりと、もっと多様なイメージでしたよね。
「ミニマルライフ」も今よりもっと固定的で限定的なイメージになっていくのでしょうか。今後「物価の高騰に打ち勝つための術」としての側面ばかりが注目されてしまうかもしれませんね。
在庫を全く持たずに、備蓄もしない必要最低限の持ち物を突き詰めていく極端すぎるミニマルライフを実践するのは、地震の多い日本で定着するのは難しいかもしれません。
日本の昔ながらの考え方だとばかり思っていた「足るを知る」という言葉は、検索してみると中国の老子の言葉が起源だったのですね。私の中では、「ミニマルライフ」はこの「足るを知る」という言葉に近いイメージです。それも今後、言葉のイメージは変わっていくものかもしれません。
スローライフもミニマルライフも自分の軸をしっかり見極めることができたら「シンプルライフ」に着地していくような気がします。
「シンプルライフ」はあまり意味が狭まることなく今後も永遠のテーマとなりそうです。複雑な人間関係や人生において、思考や自分の持ち物といった自分で取捨選択の管理ができるものは、出来る限りシンプルにしていきたいと思っている人は多そうです。私もそんな一人です。
「スローライフ」も「ミニマルライフ」も「シンプルライフ」も、どれも素敵な響きです。細かな線引きはなくて、今の自分にしっくりきた言葉を使って、自分の軸を探っていけたらいいなと思います。
いつの時代も未来への不安を減らして、機嫌よく健康に安心して心地よく生活することを模索しているのかもしれないと思いました。
だから、ものを手放すことに夢中になりすぎると、手放すこと自体が「手段」だということを忘れがちです。
「ミニマルライフ」に憧れて、行動を起こしてみて、手元に残ったのは、当初の理想(オシャレハウス)とは違ったけれど、私の理想の生活が見えてきた気がします。
自分の管理できる適量を持つことによって、身軽にご機嫌にふらふらと日常を漂うように過ごし続けるのが今の私にとっての理想の生活かな。
それが他の人から見てハナマルのオシャレハウスではなく、カオスハウスだったとしても、居心地のよさが残るなら、自分の今の居場所にマルをつけてあげてもいいような気がしてきました。
結局いつもの着地点、ゆるミニマリスト風主婦が今日も片付かないリビングでブログを書いています。