午後のうたたね

ゆるミニマリスト風主婦がふらふら漂う日常

萌え袖の中学生

中学生の頃、授業中も休み時間も関係なく、隙あらば「萌え袖」にすることに勤しんでいました。

かわいく見せたい…というよりも、手や指の付け根あたりまでめいっぱい袖を伸ばして全力でコンプレックスを隠すためにしていました。

 

今でも、指がすらっと伸びるきれいな人に憧れます。

指だけに留まらず、薄くて柔らかくてふにゃふにゃした、重いものを持たせたら壊れてしまいそうな華奢な手にも憧れます。

私は、いつまでたっても憧れる側なのです。

 

小学生のとき、クラスの腕相撲大会で一番になったことがありました。

そのときの幼い私は、単純に「一番」という響きが、なんであっても嬉しいことでした。

でも、学年が上がり、中学生になる頃には、かよわさとはほど遠い、分厚くて頼りになりそうな手や指は、コンプレックスでした。

わざわざ、そんな手や指を目立たせる指輪やネイルは、苦手でした。

それでも、友達からお土産やプレゼントで指輪をもらったことがありました。

みんなその場でつけて喜んでいましたが、私だけ指輪が入らず、そっと持って帰る他ありませんでした。せ、せつない…!

 

そういえば、唯一私の手をほめてくれる人がいました。

祖母だけは、私の手を「きれいな手」と言ってくれていました。

その時は、祖母の言っていることがよくわからず、あまり喜べませんでした。

しみもしわもなく、血管が浮き出ていない若さだけが取り柄な手ということかなぐらいに思っていました。

 

最近、ふと目をやった右手の親指の付け根に3つポツポツポツとしみが生まれているのに気が付きました。

もう祖母の言ってくれた若さ溢れる「きれいな手」ではなくなってしまいました。

それでも、不思議なことに前ほど、悲観的にはなりませんでした。

というか、あまり気にならなくなりました。

 

お題「自分をちょっと好きになれたとき」 とは、コンプレックスがなくなった訳ではないけれど、前より気にならなくなったときでしょうか。

自分の手を「きれいな手」とは思えなくても、今でも「きれいな手」に憧れてしまうけれど、他に気にしなければならないことが多すぎて、いちいち構っていられないというのが正しいでしょうか。

むしろ、力持ちで頼りになる手は主婦にはなくてはならないもので、ゴミ出しとか、模様替えとか、掃除の場面でメキメキと役に立っています。

 

最近、そんな指先にマニキュアを塗るようになりました。

nemunemu3.hatenablog.com

指輪は相変わらずめったにつけることはありませんが、指が少しでもきれいに見えるというマニキュアは塗ってみたくなりました。

ちなみに、パラドゥのネイルファンデーションを使っています。

爪を磨いたようにさりげなく光るので、名前のとおり「爪のファンデーション」というかんじです。

セブンイレブンで買いました。

夏は一度塗りでしたが、秋は濃い目のマニキュアにも挑戦したくなるので、ネイルファンデーションを2.3度重ね塗りをします。

使い切れないほどのものを持たないようにしたいので、このネイルがなくなったらまた別のものに挑戦してみようと思います。

季節が移ろうと、ほんの少し秋めいたことがしたくなるのです。

では~