今は、無印良品のものではない基礎化粧品を使っています。
ドラッグストアで買ったハトムギ系の化粧水、乳液、ジェルとライン使いをしています。
正しくは、ハトムギという植物の成分が同じだけで、よく見ると全部メーカーがバラバラでした。
全部バラバラの時期、バラバラの場所で購入しました。
本家がどこのものなのかよくわからないまま、「ハトムギ」=「安心」という刷り込みによる結果ですね…。
どれも、半分以上使った段階で気が付きました。
「ハトムギ」系の基礎化粧品のイメージは、乳白色の中身か容器に紺色のフタで、植物(ハトムギ)のイラストが書いているかんじです。
全部ハトムギ系という点で、ライン使いと呼べなくもないかと思うのですが。
無印良品で基礎化粧品を揃えていたなら、こんなことにはならなかったのでしょう。
↑「白色」「紺色」「麦」の素材で作ったなんちゃってハトムギ化粧品風パッケージ
無印良品のお店で一番困るのがこの基礎化粧品の種類の多さです。
パッケージもいたってシンプルで、クチコミや前情報などから「コレを買うぞ」という目的なしに行くと、棚の前で呆然となってしまいます。
無印のエイジング化粧品の成分がいいらしいと聞いて購入したことがありました。
全部使ってみたところで、目に見えた変化がよくわからなかったです。
その「変化がない」という状態は、私の老化の速度と無印のアンチエイジング成分が戦った末、「老化を食い止めて、現状を保てている」といっても過言ではないということなのかしら。
この前も書きましたが、私が無印良品のものに「わくわくしない」と思うのはどうしてなのかなと考えてみました。
そもそも無印良品側のコンセプトは「わくわく」ではないだろうし、無印良品で揃えられた家はきっと落ち着く心地いい帰りたくなるような空間なんだろうな。
家の中のものが無印良品のものに統一されていくと、無印良品のお店に入るとき「ただいま」みたいな気持ちになるのかな。
ミニマリストを名乗る先人の方たちの教えにただ素直に従ってみようかと思うのですが、無印良品のお店にたどり着くまでに消耗品はドラッグストアで安価に買えてしまうのです。
ニトリのデコホームだってふらふら寄り道するのに最適です。
ドラックストアや電気屋さんのほうが、ひとつひとつの商品を眺めて、手に取りたくなるのです。
無印良品のお店よりも長く滞在できそうです。
例えば化粧水が欲しいけどどの商品を買うか決まっていないとします。
ドラッグストアにおいてあるような商品の場合、パッケージが広告そのもので、色んなメリットが書いていますよね。
それを読んでお財布と相談しながらなんとなくよさそうなものを購入することになります。
統一感のないカラフルなパッケージは、詰め込めるだけ情報をギッシリ詰め込んだかんじで、人込みやざわめきに近い雰囲気ですね。
基礎化粧品は「無印良品のコレを買う」とストイックに決めていたら、余計な寄り道が減りそうですね。
さっき早速調べたら、無印良品には「ハトムギ化粧水」というものがないのですね!
流行に踊らされないのが無印良品のたたずまいという訳なのですね。
「ハトムギ」自体が広告イメージのように一人歩きして、私に浸透されてしまっているようです。