午後のうたたね

ゆるミニマリスト風主婦がふらふら漂う日常

3か月の変化

3か月ほどブログを書くのも読むのもお休みしていました。

その間の少しの変化を書き出してみようと思います。

 

1.エックスアプリ復活

スマホから一度アンインストールしたはずのエックスのアプリをまたインストールしてしまいました。

電車に乗ったときだけ、エックスを見ていたのに、とうとう家でも見てしまうようになってしまいました。

せっかく戻った読書習慣も、また遠のいてしまいました。

読みかけのままの本が、キッチンの食器棚の炊飯器置き場に置かれています。

(炊飯器とトースターはそのままないまま過ごしています。)

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2.パズルマットを減らす

ダイニングテーブルのマットを新調したため、その分のパズルマットを減らしました。

さすがにゼロにはなりませんでしたが、全盛期の半分ほどの量になりました。

パズルマットが増えることはないと思います。

nemunemu3.hatenablog.com 3.ふいうちのムーミン

 

ムーミンのお話を続けて読んでいたため、すっかりムーミンに愛着がわいてしまいました。スーパーのマグカップ売り場をふらりと見ていた時に、黄色いマグカップが目に留まりました。思わず手に取ってみると、マグカップの内側にムーミンが描かれていました。不意打ちのムーミンはとても心が揺れてしまいました。1か月ほど悩んで、買うことにしました。自分のために買ったムーミングッズはこれがはじめてでした。

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そういえば、普段足を運ばないマグカップ売り場に足を運んだのは、理由がありました。

朝起きてみると、15年ほど愛用していたマグカップの一部が欠けていたのです。

かけらはまだ見つかっていません。

このマグカップは、就職したときに会社に置いておく用のマグカップを「アフタヌーンティーリビング」という雑貨屋さんで、自分のために購入したものでした。

 

新しいお気に入りのマグカップに出会えたおかげか、前のお気に入りだったマグカップのことを忘れていました。

 

肩の力を抜いて、ブログとも程よい距離で付き合えたらいいなと思います。

休み休みになりそうですが、ひっそり再開してみます。

よろしくお願いします。

オールシーズンワンピースで会いに行く

友達と会うときに密かにチャレンジしてみようと思うことがあります。

年に一度ぐらいの頻度で会う友達がいるのですが、私が毎年同じ服を着ていても気づくかどうかチャレンジです。

 

黒地に白の小さいお花柄のノースリーブワンピースがあります。 

夏はシャツを羽織って、冬はタートルにカーディガンを着て、オールシーズン着れるUNIQLOのワンピースです。

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ノースリーブでそのまま着る勇気はありません。

二の腕を全力で隠します。

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この手のサラサラしたポリエステル生地のワンピースが好きなんです。

ドラマでも似たようなものを見つけたら、すぐチェックしたくなります。

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普段の買い物、帰省・旅行、仕事・参観などとは違ったとっておきのお出かけ用のワンピースのため、消耗がかなりゆっくりそうです。

長く長〜く着れそうです。

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これらすべてのTPOをワンピースで過ごす強者ミニマリストの方もいますが、ゆるミニマリスト風主婦の私は、出来るだけ用途別に分けたいです。

 

ロングスカートは、駅の階段の上り下りでスカートの裾を持ち上げないと、裾が階段についてしまいませんか。

スカートの裾で階段のお掃除してるのが嫌で、必死にたくし上げてしまいます。

 

午前中に買い物へ行って、その後友達と予定がある日は、全身着替えたりしています。

自転車に乗って買い物に行くときは、絶対スカートを履きたくないからです。

履きたくないといいよりも、スカートが自転車の車輪に巻き込むのが怖すぎて、スカートを履いて自転車に乗れない、というのが正しいです。

そんな経験はしたことないのですが、ママ友さんからよく聞くあるある体験なので、聞くたびに震え上がっています。

 

ワンピースやスカートの丈は流行りがあるので、くるぶしギリギリのロングスカートは、流行らなくなるときが来るかもしれませんが、その時は裾を切ってもらってでも、着続けていそうです。

 

別れ際に、友達に種明かし。

「この前と同じ服だよ。気づいてた?」って聞いてみようかな。

気づいいても、わざわざ「この前と同じ服だね!」なんて言わなさそうです。

ちょっと得意げに言う私に、久しぶりに会う友達のちょっと驚いた顔が見たいだけです。ただそれだけ。

 

予約投稿分をだしきっちゃいました。

明日から、いったんお休みします~。

思い出づくりの焼きそば

今日のお昼は焼きそばを作ることに決めています。

レパートリーが多いわけではない私の作ることのできる料理の中で、ひっそりとメニューの固定化をしています。特に宣言したわけではなかったのだけれど、1か月ぐらいでこどもに「土曜の焼きそば」に気づかれてしまいました。

紅しょうがはなしで、鰹節と青のりをお好みでふりかけます。

キャベツは常にある訳ではなく、玉ねぎと豚バラが多いです。

大阪出身の友人が「子供の頃、休日のお昼はたこ焼きを食べていた」という話を聞きました。友人は、大人になった今もたこ焼きを食べる時に、きっと子供の頃のたこ焼きを思い出すんだろうなと思いました。そのときは、その友人とたこ焼きを食べました。

私が小学生の頃は土曜日もお昼まで学校があって、帰ってきたら、野菜の載ったラーメンをよく食べていた記憶があります。

ラーメンだったから、冬だったのかな。

記憶は断片的ですが。

 

思い出は心に残っているものがすべてだと思っていたけれど、意図的に思い出を作ることも出来るのかなぁと実験するような気持ちで、先週の土曜のお昼は焼きそばを作りました。 

学生の卒業間近シーズンになると、誰かしらが「思い出づくり」なんて言葉を出すときがあります。その言葉を聞くたびに、いつも少しの違和感を感じていました。

思い出を作るための行動は、純粋な思い出ではなくて、人工的な作為的な偽物まがいな気がしていたようです。

思い出づくりなんてしなくても、印象的なことは、ずっと心に残るものだし、忘れてしまうことは大した事のないことだと、少し尖った考え方を持っていた若い頃の話です。

たぶん「思い出づくり」と言ってくれていた人たちは、この後訪れる新しい環境で不安な時に「思い出」が癒やしになったり、振り返った時に寄り添ってくれる安心感のあるものだと、その時から知っていたのかもしれません。

若い時にはわからなかったそんな「思いで作り」の希望も込めて、今週の土曜日もお昼に焼きそばを作ります。

私の曜日感覚が狂うのを防ぐ効果もかなり期待してます。

曜日感覚が狂うとゴミ出し忘れちゃうので。

『ガールズ・ブルー』の夏は夕立ちの空模様

小説『ガールズ・ブルー』(あさのあつこ/2006.11.10)を読みました。

読むのは二度目ですが、内容を全く覚えていませんでした。

そのため、とても新鮮な気持ちで読めました。

一度目に読んだのは、高校を卒業後5年もたたないタイミングでした。

高校生たちの日常が描かれているこの作品は、当時の私には当たり前すぎて新鮮味を感じられなかったのかなぁ。

いや、この物語のような高校生活を送ってた訳ではないので、「当たり前の日常」では全くないですね。

高校時代からはるか遠く離れた現在、改めて読んでみると「決して戻らないエネルギーと若さに溢れた時代」が自分にももしかしたらあったのかもしれないと錯覚してしまうような作品でした。

 

映画『リズと青い鳥』が淡い色の水族館のイメージと対比するとしたら、小説『ガールズ・ブルー』はもっと群青色のような濃い色のイメージです。

汗が噴き出る暑い真夏のイメージです。真夏と言っても、太陽の強い日差しばかりではなくて、夕立が降ったりと、次に何が起こるかわからない不安定さもあります。

 

成長途中に揺らぐ不安定で未完成の美しさに惹かれるようです。

それは、よく知っているはずの人のときどき垣間見ることのできる全く知らない顔を覗かせた瞬間に惹かれるのと似ているのかもしれません。

大人になってもゆらゆらふらふら漂いたいものです。

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今公開中の映画『ソウルメイト』が見てみたいです。

どこの映画館でも公開しているわけじゃないみたいです。

美しい映像に静かに浸りたいな。

映画『リズと青い鳥』泳ぐ魚をガラスの外側から愛でる

昨年末から年明けにかけて4日連続でアニメ『響け!ユーフォニアム』の総集編や映画『リズと青い鳥』が放送されていました。

響け!ユーフォニアム』は、京都の高校の吹奏楽部を舞台にした作品です。

本編である『響け!ユーフォニアム』の主人公ではないメンバーが主役ととなったスピンオフ作品として、映画『リズと青い鳥』という作品もあります。

この『リズと青い鳥』のタイトルを見たとき、本編とは全く関係ない作品なのだと勘違いをして、録画をしませんでした。

後に本編の総集編を見たときに、映画『リズと青い鳥』がスピンオフ作品だと気づいて録画をしなかったことに後悔したのでした。

 

そして、最近ようやく映画『リズと青い鳥』を見ました。

夏の京都に観光に行ったことがあるのですが、とても暑かった思い出があります。

自分が高校生の時は夏に限らずよく汗をかいていたような思い出もあります。

運動部だったせいでしょうか。

エアコンがついていなかったのかな。それすら忘れてしまいましたが。

でも、『リズと青い鳥』は、私の中の「夏の京都」や「高校生」の思い出とは、全く切り離された作品でした。

だから懐かしさはあまりなくて、吹奏楽部の高校生たちをガラスの外側から愛でているような気持ちになりました。

まるで水族館や避暑地にいるような涼しい気持ちのいい風が抜けていくような雰囲気です。

だから、「泳ぐ魚をガラスの外側から愛でる」のに近いのかな。

もしくは、ガラスのグラスに注がれたカルピスウォーターのようなイメージです。

(カルピスの原液じゃなくて。)

今の私みたいに、冬に隙間時間の細切れに見るのではなくて、夏の日の当たらない涼しくて静かで薄暗い映画館でこの作品をじっくり味わいたかった!なんて贅沢なことを思ったりしました。

この体温低め(彩度低め?)で、水色(淡色)がよく似合うようなすっきりさわやかカルピスウォーターのCMのような雰囲気が、個人的にとっても大好きなのです。

 

響け!ユーフォニアム』は、放送されていた2015年当時、京都アニメーションが制作している作品だと知って、録画で見ようとしていました。

1倍速か2倍速で見ようとしたのがよくなかったのか、面白みがよくわからず、途中で見るのをやめてしまった作品でした。

2024年4月から『響け!ユーフォニアム3』が放送されるのが楽しみです。

『水たまりで息をする』みんな息苦しいね

小説『水たまりで息をする』(高瀬準子/2021.7.13)を読みました。

夫がある日を境にお風呂に入れなくなったことから、今までの夫婦二人の生活が静かに崩れていく…。

タイトルがもうすでに息苦しそうなことから、読むときっと息苦しくなる心づもりをして、ページを開きました。同じ作者の『うるさいこの音の全部』が好きな文章だったので、同じ作者で気になったタイトルの本を手に取ったのでした。

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主人公は、こどものいない三十代の夫婦の妻です。

妻の目線で、一緒に住む夫について描写されています。

同じ二人の関係性であっても、母と息子であったとしたら、なかなか作品のような展開にはならないのだろうなと思いました。

この夫婦の妻と夫の距離感だったからこそ、夫の意思に寄り添うことができたのかなぁ。

私がもしもこの母親の立場だとしたら、離れて暮らす息子は、自分の「知ってる範囲」の息子から外れた姿の息子を直視できるか、よくわかりません。

こどもの頃から地続きに続いているはずだと思い込みたい「記憶と理想の息子」に塗り固められている気がします。

目の前のそのままの息子のことを受け入れられるのかな。

自分勝手だと自覚しつつも、そのことに気が付かないふりをして、見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞かないのかもしれません。

思考停止しているのか、自分の狭い世界の中の「知ってる範囲」の凝り固まった理想のルートに乗せよう、戻そうとしてしまう気がします。

それは放っておけないからなのか、思うように動かしたいのか。

自分の「知ってる範囲」を超える息子に対しての不安や恐怖が勝ってしまいそうです。

小さな変化に気が付くことができるような距離にいることが大切なのかもしれません。

わざわざ声をかけなかったとしても「気にかける」ように意識はしたいです。

いつでも相手のそのままを受け入れられるようにしたいけれど、それは理想なのかな。

 

読んだ後、ふと「水たまりで息をしていたのは誰だったのか」と気になりました。

はじめは、一番苦しいのは夫だと思っていたので、夫だと思っていましたが、同じ船(家)の妻も息苦しそうだとも思いました。

こどもの頃に飼っていた魚(台風ちゃん)なのか、それとも夫の母?妻の母?

みんな息苦しそうです。

「水たまり」は雨や海や川の水で出来ていることが多いイメージから、やっぱり水道水が苦手な夫が水たまりで息をしていたのかな。水たまりでは、そもそも息ができないよ。

水たまりは、海や川とは違って、いつかは蒸発してなくなってしまうことの象徴だったのかな。

「みたらしだんご」愛好家の葛藤

本当は小麦粉も白砂糖も距離を取ったほうが健康にいいのはよくわかっているのですが、やめられません。

お酒もタバコもしないけど、特に甘味は日々の楽しみでもあります。

コンビニのレジ近くなどにも売っている3本パックのお団子が好きです。

「みたらしだんご」「あんこ」「三色だんご」などの種類があるアレです。

こどもの頃、「誕生日にみたらしだんごを1パック全部食べてみたい」と言ったことがあるぐらい好きなものです。

京都の有名店や、和菓子屋の本格的な焦げ目がついていたり、しょうゆ味が強い上品な甘さ控えめのものではなくて、私の好きなものは、甘さを控えていないものです。

タレがとろとろしすぎて、垂れてしまうものではなくて、冬場は特にパックの形に固まってしまうアレです。

 

さすがに今はいっきに食べるのは2本が限界ですが、たまに仕事帰りに買うことがあります。

残り1本は、次の日のおやつです。

他の家族は、みたらしだんごを食べません。

私のこっそりおやつにしなくても、家族の誰からも見向きもされないおやつです。

さすがに夏は食べませんでしたが、最近は続けて「みたらしだんご」を何度か買うことが続きました。

 

でも、毎日「みたらしだんご」を買うわけではありません。

「みたらしだんご」を買わずに他のものを買う日だってあります。

とうとうレジの店員さんに

「今日は、みたらしだんご、買わないんですね」

と、声をかけられてしまいました。

どう反応していいのかわからず、

「…今日は買わないんです…へへっ」

と、戸惑いを隠せない反応しか出来ませんでした。

 

その日から「みたらしだんご」を買えずにいます。

「最近、みたらしだんごの人、みたらしだんご買わなくなったね。入荷量を見直そうか」と、お店の人の話題になる前にまた買いに行ったほうがいいのか悩みどころです。

まだ私には、どうどうと「みたらしだんごの人」としてやっていく覚悟が足りないようです。

この覚悟が決まらない限り、こどものときのように誕生日に家族にお願いするしかないのかもしれません。

AIタイトルを利用しました。

AIタイトル利用前に考えていたタイトルは「みたらしだんごの人」でした。