午後のうたたね

ゆるミニマリスト風主婦がふらふら漂う日常

ふらふら漂うような日常を好むわけ

 

お題「とんでもない方向音痴のエピソード」

 

夏祭り 道に迷って 帰れない 知らない道を 歩き続ける

中学生のときの夏休みの宿題で五・七・五・七・七の短歌を作る宿題がありました。

家族で、父の実家へ帰省していました。

その近所の小学校で、夏祭りがありました。

出店を一周し、お祭りの雰囲気だけ味わって、すぐに帰りたかった父。

私と母はもう少し堪能したかったので、私たちを残して父は先に帰りました。

確か帰り道を簡単に教えてくれていた気もします。

ちゃんと聞いていなかったようで、覚えていません。

 

で、先の短歌の状況に陥るわけです。

 

当時Googleマップはもちろん携帯電話もない中で、知らない夜道を手探りで歩きます。母も私と同じぐらいの方向音痴でした。

手探りで進むしかない心細い中学生の夏の終わり。

なんとなくこっちかなという希望をもって進んだ道の先で出会った人に、道を尋ねた時、

「反対方向です」

と、言われたときの突き放されたような絶望感(ただ正しい道を教えてくれただけ)。

回れ右をして、また来た道をとぼとぼ足をひきずるように進むしかない夜道。

さっき通ったときよりも、道が暗くて狭い気がします。

どのぐらい歩いたかはわからないまま、なんとか父の実家にたどり着きました。

昼間歩くとそう複雑な道ではないのに、夜道は知らない道のようでした。

 

中学生の夏祭りの帰り道以外にも、その後も待ち合わせ場所、時間、ひどい時は日時を間違えることがあります。

 

高校の受験の日、乗るバスを間違えました。

就学旅行へ行く朝、待ち合わせの駅を間違えました。

資格試験日の1日前に受験会場に行ってしまったこともありました。

就職の面接時に、降りる駅を間違えて遅刻したこともありました。

 

書けば書くほど、自分がとても早とちりで、適当で、不器用な人間であることをすっかり忘れていた気がします。

友達やまわりの人をハラハラ不安な思いにさせてしまって、申し訳ないです。

もっと謙虚に生きようと思います。

謙虚に生きて、果たして方向音痴はなおるのか…それは別問題ですね。

 

Googleマップ様や、路線図アプリを使えるようになってからの心強さはすごいです。スマホを持つようになって、知らない場所へ行くときは、いつも残りの充電量を気にしています。

地図じゃだめなんです。自分がどこにいるのかがわからないからです。

そもそも「現在地」がわからないんです。

 

方向音痴なだけでなく、目的地にたどり着くのが苦手なようです。

いつもの会社と家の往復、住み慣れた家のまわりをふらふらと漂うように過ごす日常を好むのは、苦手分野に触れないように過ごそうとしているからなのかもしれません。

東西南北の感覚が標準装備されている人がいるなんて、構造が違いすぎて、とても不思議でたまりません。

では~